自分の反抗期の時のことを思い出してみた。

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育児の経験値が低いなりに考えた

リンは子育てに関してまだまだ駆け出しで、経験も実績も無い。

離婚してシングルファザーとなってから、本やウェブサイトなど、いろいろな方の子育て情報を拝見して勉強する一方で、自分が子どもの時、場面場面でどう思っていただろうかと良く考えるようになった。

それによって、ほとんど風化していた出来事がふと思い出されてくるから面白い。

あの時こんなことがあって、こういうことを思ったな。

そして、その時思ったことが今の自分の考えとさほど変わっていなかったりする。

完全に忘れていると思っていたことが、娘の子育てを考えていたらよみがえってくるから不思議だ。

今回はそんなふと思い出した自分の過去の話の一つ。

娘にはまだ早いが、忘れないうちに書き留めておきたい。

真面目な子は損だ

リンはあまり褒められたという経験が無い。

真面目と言うのは損だ。

これはリンが今まで生きてきて、それを証明している。

リンは自分のことを真面目すぎるだとか、真面目だけが取り柄だと思ったことは無い。

ルールを守り、余計なことは極力しゃべらず、誰でも公平に接する。

しかし現実は評価されないことが多い。

過大な評価よりも、大きな成果を上げてもなお、大した評価はもらえない。

限度を超えないようにルールを破り、余計なことを適度に言って、公平に接していなかったことをたまに悔やんで、思ってもいないことを叫んでいる人のほうが要領がよい世渡り上手として評価されることが多い。

真面目な人間は、真面目な部分以外のことを見てもらいにくい。

そうでない人間は、真面目な部分以外のことを見てもらいやすいのだろうか。

早熟な子どもは、出る杭を打つがごとく叩かれる。

娘には、自分の失敗を活かして真面目が前面に出ないようになってもらいたい。

反抗期がないというのは危険である

ただ、真面目な子ほど大人になって危ないというのはあたっているかもしれない。

リンは第二次性徴期、いわゆる反抗期といわれている時期にあまり親との衝突は無かった。

リン母もそのように思っていたと言うことを先日知ることができた。

しかし、反抗期に反抗していない子どもというのは、自分がそうだった様に危険である。

ニュースなどで良く見ることができるが、事件が起きたときに真面目で明るい子だったのにというフレーズには思わず反応してしまう。

第二次性徴期における反抗期の原因

反抗期がない子どもの原因は3つあります。

  • 親と価値観が近いか合致している。
    親と考え方や価値観が近いため、必然的に衝突する理由が無い。よって反抗期がない。
  • 親に抑圧されて、自分の意見が言えなくなっているので反抗できない。
    自分の意見が言いたいが、強制的に意見がいえない状況に置かれている。
  • 反抗しなかったのではなく、意図的に相手にしないというスタンス。
    リンはこのタイプ。反抗しても仕方ないので、相手にしない。どうしてもコミュニケーションを取らなくてはならない場合は、表面上良い子どもを演じておいて、自分のやりたいことは諦めない。えてして危ない。

今は子どもで、親がいないと何もできないが、大人になったら好きなように生きよう。だから我慢する。

今思えば、なんと可愛げがなく、憎たらしい子どもだったのだろう(笑)。

そして社会人になるまで良く10年も抑え込んだものだ。

自分の第二次性徴期を振り返る

確かに中学に上がった頃から、1年間ほどは反抗的な感情や怒りの感情はあった。

それが1年経つと次第に冷めた感情へと変わり、中学も3年になるころにはそれすら通り越して
既存の枠組み(親の考え方や学校の校則など)に対する諦めというか悟りの境地に入っていた。

担任に食ってかかりそうなクラスメートに、「威張りたい奴には威張らせておけ。それで平和だ。」と袖を引いて諫めたこともある。

無論表面上は従っておけよということだった。

色であらわすと、赤(怒りの感情)⇒青(冷めた感情)⇒黒(悟り)のような3年間の変化がありました。

青色の頃には、反抗するよりも従順を装っていた方がトラブルになりにくいことを覚えます。

黒色になってしまうと、相容れないもの(この場合、親や先生)とは係わらないに限ると思うようになっていました。

抑圧されても自分を捨てず、親のいないところで結構楽しんでいたので、犯罪に手を出してしまうことがありませんでしたが(笑)

改めて、これって怖いよなーと感じた。

親や周囲の大人から教わることを放棄して、ビジネスマンが読むような自己啓発の本や六法全書を買って、ひたすら読んだ。

小説は教科書に載っているような本をわざわざ選んで買った。

いろんな世界のことが知りたくて、キリスト教やイスラム教のことも調べた。

もちろん中学生ですから同年代でこんな話題をアウトプットできる友達はいなくて、ひたすらインプットになる。

インプットがアウトプットを凌駕し、周りとの接点がなくなると、「子育てと歴史は似ている?」の記事でも書きましたが、自分の世界の占める割合が大きくなっていきます。

最近、短時間だが読書ができる時間が取れました。 本を読んでいて、子育てと歴史は似ているのではないかと言うことが頭に浮かんだ。 ...

自分の場合はそのエネルギーが自立と言う方向に向かいましたが、一歩間違っていたらとんでもないことになっていたかもしれない。

この時期の感性は鋭い

子どもから大人へと変わっていくこの時期の感性は、後から見ても鋭いと思う。

これは、自分のことだけではなくて、世の中の反抗期の子どもたちに対してだ。

実家でモノを整理していて、ふとその当時自分が書いた文章や絵が出てきたりする。

表現方法は拙く、赤面モノだったりすることが大部分なわけで、捨ててしまったものが多いのだが、たまにその感性の鋭さにえぐられるような感覚になることがある。

いい大人になった今よりも、いいこと言ってたりするのだ。

正論であっても、世の中には受け入れられることはないだろう。

明日の天気が晴れかどうかよりも、どうでもいいこととして処理される。

「でもその感性は正しい

と言った大人は周囲にいなかった。

40歳に近くなった今では、人並みに世間ずれもした。

娘が反抗期の年齢になるころには、50歳台目前だ。

その時、娘がリンのように育ったとしたら、その感性は正しいと認めてあげられるだろうか。

鋭い感性から逃げようとしないだろうか。

最後に

男の子と女の子は反抗期の様子が違うかもしれない。

現にそういう記事もよく目にする。

だけど、リンの症例を見ると男の子の反抗期というよりも、女の子の反抗期のそれに近い。

男らしさや女らしさは環境によって決まる。らしさはつくられるものである。

リンが反抗期に書いた言葉の一つである。

我ながら、くそ生意気な言葉ではある。

だが、リンに育てられたのなら、シングルファザーでも娘は同じように育つかもしれない。

10年後「その感性は正しい」のか、自ら体験してみたい。

今回はここまでです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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