子育てにおける実家との距離感を考える

子育てにおける実家との距離感を考えるアイキャッチ

我が家が父娘2人世帯であることは、シングルファザーになって最初に感じたことで書いた。

離婚直後、実家へ引越し私の親と同居する選択肢があったが、同居はしていない。

子育てにおける考え方の大きな相違があったためである。

例えば、次のようなことについて相違があった。

・食事のとらせ方
・病気のときの看病の仕方
・寝かせ方
・重ね着の枚数など服装

これは、昔の常識と今の常識に起因するものもあれば、個人的な考え方や親と祖父母という立場の相違も含まれる。

どちらが正しいということは別だ。

だって考え方の相違は父子家庭に限らず、必ずあるものだと思っているから。

実家が近くにあれば、病気やけがになった時子どもをすぐに見てもらえるが、その分普段の生活では距離感がなくなりやすくなる。

自分の育児のやり方に口を出されることもあるだろうし、自分の知らないところで我が家のルールを破られることもあるだろう。

実家に滞在中の半日でさえ、大人が使ったスプーンで娘に食事を与えようとする場面に遭遇したりする。

我が家では虫歯予防の観点から、特に3歳までは大人と食器の共有をしないというルールがあるのだ。

何かのタイミングで実家または義実家へ同居するかどうかとなった時、金銭的なメリットや緊急対応だけのメリット、子どもが祖父母とのかかわりが持てるというプラス面だけで判断するのは危険だ。

きちんとマイナス面も見つめた上で実家との適切な距離感を持つべきである。

その結果、同居でも距離感がちょうどよいという人もいるだろうし、同居しない距離感がちょうどよいという人もいるだろう。

今回は実家との距離感について考えてみたい。

目次

子育てにおける考え方の距離感

ケース1:子どもがあまりご飯を食べなかったとき

【私の親の場合】

・食べてくれるものがでてくるまで、次から次へと料理を出す。

・おなかに何かしらは入れようとするから、食事にかかる時間はばらばらで1時間を超えるときがある

結局ほとんど食べずに、ほとんどが生ごみ行きとなる。

【私の場合】

食事時間は基本15分。どんなに長くても30分まで。

・時間以内に食べなかった場合は、まったく食べなくてもそこで終了

・後々おなかがすいて食べたそうであれば、時間によって食べさせる。

私は食事にかかる時間がばらばらになることで、その後のお風呂、歯磨きが遅れ、寝る時間が毎日ばらばらになるのを嫌う。

2歳の娘が起きている時間は1日のうちで12時間~14時間くらい。

保育園に預けている時間は9時間だから、それを差し引くと平日に娘にかまってあげられる時間は3時間~5時間だ。

その中での1時間は本当に貴重。

休日であったとしても、食事に1回1時間掛ければ、3回で約3時間

起きている時間の4分の1が食事時間ということになる。

食事の準備と片付けの時間まで入れると、下手すると娘の起きている時間の3分の1以上が
食事に関わる時間になってしまう。

それをすごくもったいないと感じるのだ。

その時間を少しでも一緒に遊ぶ時間にあてた方が娘と私の双方のストレスにならないと思う。

ただし、これを私の親に説明しようとは思わない

そうやって私を育ててくれたのは親だし、別に親が間違っているわけではないから。

ケース2:夜の寝かせ方

【私の親の場合】

・親子は必ず添い寝したほうが良いと考えている。

【私の場合】

・娘の部屋で娘1人で寝かせている。(私自身も寝室で1人で寝る)

・夜中起きてしまったときで、どうしても泣き止まない時は添い寝。

娘が起きている時、家事をしていない時、私は娘にずっと触れ合って遊んでいる。

トイレへ行けば後追いしてくるし、家事をしていれば娘は足にまとわりついてくる。

可愛いのだが、それでもずっと同じ空間にいると気が滅入りそうになるときがある。

だから寝る時まで一緒でなくても充分だと思っているのだ(離婚前からこのスタイル)。

娘が寝た後の1~2時間は自分の時間として確保したい。

これは自分が充実していなければ、自分以外にやさしく出来るわけがないといったゲーセン店長時代の実体験があるから。

親子でも同じである。

子どもは可愛いし、生活の中で最優先事項なのは分かる。

だがそこに気持ちが行き過ぎて、子育てをしている人間が潰れてしまったら元も子もない。

24時間365日子どもと同じ部屋、同じ空間で過ごしていても大丈夫な人もいるし、私のように1日の間で短時間でもいいから1人の時間が欲しいという人もいる。

別々に寝ていても、子どものシグナルにすぐ気づけるような体制でいらられば良いのだ。

2017年6月追記

娘が1人で寝る問題は、その後娘がベビーベッドを自力で乗り越えられるようになったことにより、2017年6月現在は添い寝へと変わっている。

子育てにおける実家との物理的な距離感

実家と距離がある

子育てにおいて、物理的な距離感もまた難しい問題だ。

私の場合、子育てに対し親と私との間に考え方の距離感があった。

この隔たりが比較的近かったら、衝突のインパクトは小さいので実家へ戻ることを多少は考えたかもしれない。

だが隔たりは大きく、身内ということもあり衝突時のエネルギーが凄まじくなることが予想された。

だから実家との距離を適度においておくことに決めたのだ。

同居すれば、私の身体的負担は軽減されるのは間違いない。

しかしそれは必ずしも娘にとって良いこととは限らないと考えている

どうしても祖父母は孫に対して甘い傾向にあるのが一般的だろう。

私の親も孫には甘いから、そのぬるま湯に毎日浸からせたくないのだ。

生まれ育った土地への嫌悪

距離感の他に同居をしない決定をした重大な要素として、実家がある土地の問題があった。

私は自分が生まれ育った土地が好きではない。

結婚する前から、結婚するときは別のところに住むと家族に明言していたほど。

地域性、人口、選択肢の数、多様性などなど私が育ったコミュニティは、私が子育てをおこないたい場所ではなかった。

今まで一人暮らしでいろんな場所に住んだり、いろんな出身地の友達と関わったとき、子ども時代の話は必ず話題になった。

そしてその内容は、私の生まれたところの特殊性を証明しただけだった

もちろんこれは個人的なものなのですべての人に当てはまるものではないだろう。

閉鎖的で選択肢のないところが好きな人だっているかもしれない。

最後に

情報があふれている現在では、様々な情報がある。

子育てについての常識も育児書や医者の常識が時代によっていろいろ変わってきている。

だから、実家つまり両親と自分の間に子育てにおける距離があるのは何ら不思議なことではない。

時代が生んだ相違もあるし、親と祖父母の立場の違いからくる相違もあるだろう。

何を重視し、どの情報を使って育児・子育てをしていくかをいろんな情報の中から、最終的には自分で決めていくしかない

その上で実家との距離感を考えてみる。

私の場合、実家との距離感は車で約1時間の距離。

多くても週1回くらいの交流でちょうどいい。

これが私の実家とのちょうど良い距離感である。

今回はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。