子育てと歴史は似ている?


最近、短時間だが読書ができる時間が取れました。

本を読んでいて、子育てと歴史は似ているのではないかと言うことが頭に浮かんだ。

一見関係ないように見えるけれども、似ているかもしれない。

リンの子ども時代を思い出しながら、思考のザッピングをしてみた。

目次

時代によって評価が異なる

歴史上の出来事(事件、人など)の評価と言うのは、通常その時代に生きている人々が評価するのではなく、後世に生きる人々が評価をするものです。

イメージし易くするために歴史の教科書に載っていることで、あなたがぱっと思いつく人物を思い浮かべてみてください。

思い浮かべましたか?

そして、今思い浮かべた人物について、あなたはどう思っていますか?

次にその人物について、インターネットでも書籍でもよいので調べてみてください。
きっと様々な評価があることでしょう。

時代によって賞賛されたり、はたまた逆の評価を受けたりする。

当時良いとされたことが、将来全く評価されないことだってあり得る。逆も然り。

ただ、一つ言えるのはその時代に生きていた人々が好き好んで自分の生きている時代を悪くしようとして行動しているわけではないということ。

これは子育てについてもそうではないか。

子どものためにしたことが良かったか悪かったかなんてのは、誰もわからないのかもしれない。

色んな人が関わって、子どもに様々な影響を与える。

結果、一人の人間として自立した時にそれぞれの事象が複雑に絡み合って答えがでてくる。

その答えもまた、時が経てば変わる可能性があるのだろうが。

リンの場合はどうだったか?

リンの子ども時代

リンが子どもだったころ、両親が共働きだったので、主に祖父母がリンの面倒を見てくれました。

祖父は子どもが好きで、リンを自転車に乗せて買い物や釣りに連れて行ってくれたり、竹馬や竹トンボを作って一緒に遊んでくれた思い出があります。

一方、大変短気な方で毎日のように怒られていました。

言うことを聞かないと物置に閉じ込められたり、庭にあった焼却炉で、おもちゃを燃やされたりしました。

祖母は子どもがあまり好きではなかったようで、何をしてくれたか全く思い出せないほど関りがありません。

家にいると「どこかへ遊びに行ってこい」と面倒臭そうに言われるというような無関心さでした。

ですから子どもの時、特に自転車での行動範囲が広くなってからは、放課後は家にいるのが嫌で、友達のスケジュールを聞いて月曜はAくんの家、火曜日はBくんの家で遊ぶといったように過ごしていました。

そこには祖父母も両親も介入しない自分の世界がつくられていき、中学に上がるころにはその割合がほとんどを占めるようになって、早く家を出たいと思うようになります。

両親はと言えば、休日にはリンと弟を連れてよく遊びにつれて行ってくれました。
公園やテーマパーク、冬にはスキーや温泉など。

今でもおぼろげながら楽しかったのを覚えています。

ですが、自分の世界が大部分を占めるようになると、これも自分の世界を脅かすものとしてうっとうしく思うようになりました。

早く大人になりたい。
早く大人になって、ここから出ていきたい。

結果的に自立した今の方が、子ども時代より充実しているのは確かです。
責任は生じるが、自分で決めていい。

子ども時代に戻りたいという気持ちは一切ありません。
戻れるとしても、戻りたくないんです。

ですから、閉じ込められた、おもちゃを燃やされた、無関心は今のリンにとっては自立心が早くから芽生えたという点で良かったということになります。
当時のリンにとっては地獄みたいなものでしたが。

娘には決して同じ思いはさせたくありません
そのために実家を出たのですから。

国と国の関わり方からのアプローチ


歴史上の出来事は該当国もしくは当事者の利権によって引き起こされる。

悪い言い方かもしれないが、子育てをそれに置き換えると
子どもをこうしたいと言う希望(利権)は夫婦同士や祖父母との間、
子どもが成長すれば、子ども自体の希望(利権)が絡んできたりする。

頭が良い子に育ってほしい。スポーツができる子になってほしい。
優しい子になってほしい。良い会社に入ってほしい。

これらはすべて言わば関係者の利権だ。
言葉巧みに自分の価値観に巻き込もうとする。
そしてそれは、善意として押し付けられる場合があり得る。

価値観のズレが解消できなければ、最初は話し合い、次に経済制裁や国交の断絶。
最悪の場合は戦争となる。
戦争後には変な講和条約まで締結される。

似ているが、これではいけない。

子育てがうまくいかないと感じたとき、この状態なのではないだろうか。

巻き込まれたとか、押し付けられたと子どもが感じるような子育てになっていないだろうか。

気づいたら、そこに必要なものがあったと子どもが感じられるような育て方をリンは目指したい。
いわば後方支援に徹するということ。
あくまで娘の人生は娘が歩むもの。
リンの価値を押し付けるのではなく、娘が感じた価値を尊重する。
難しそうだが試してみる。

まとめ

まとめると以下のようになる。

・評価が可変するという理由で子育てと歴史は似ている。
・必ずしも悪いことが将来マイナスに作用するわけではない。
・子育てと国と国のかかわり方と似ているときは良くない状態。
・親として子どもの後方支援に徹してみる。

まだまだ子育ては始まったばかり。
これから失敗しながら娘と接していくでしょうが、そんな時、またこのことを思い出せるよう記事に残します。

今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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