日本は少子化を問題にしていないんだなと思う。

日本は少子化を問題にしていない
少子化問題、少子化対策と政府もメディアも言っているけれど、果たしてそうなのだろうか?

少子化を食い止めるどころか、少子化を推進している様にみえなくもない。

推進は言い過ぎかもしれないが、何にせよ日本は少子化自体を大きな問題としてとらえていないのだと感じる。

それはなぜなのか。

この記事では人口問題を問題にしていないのではないかという話を次の項目に絡めて書いていくつもりである。

・幼児教育無償化と企業主導型保育事業の推進

・少子化対策は増税のネタでしかないのか

・人口減少と労働環境について

幼児教育無償化と企業主導型保育事業の推進

幼児教育無償化と企業主導型保育事業

日本政府は2020年までに3~5歳の幼児教育無償化を目標にしている。

財源があるかどうかは別として、これが実現すれば助かる人は多いかもしれない。

だが幼児教育無償化は少子化対策にはならないと私は思う。

教育にお金がかからないことじゃなくて、子どもを持つ誰もが安心して仕事をしながら子どもを育てられるという環境づくりの方が大事なんじゃないか。

確かに無償化というのは聞こえの良い言葉である。

だがいくら無償化が実現したところで、育児のために転職や退職しなければならなかったりする社会では意味がない。

幼児教育無償化は子育てをライフステージの選択肢に入れている人にしか恩恵がない。

だから政府が現在推進している企業主導型保育所の設置の方がまだ幾分マシかもしれない。

娘を保育園へ送っていく経路にもここ半年で3件の保育園が開園した。

そのうちの1つは企業主導型保育所である。

この制度では複数企業による共同設置でも助成金が受けられ、その恩恵により認可保育所並みの保育料で運営が可能となるので企業にとっても従業員にとってもメリットがある。

前職で社内経費削減のコンサル会社の社長と話した時も、ほぼコストをかけずに保育所が設置できることから、企業主導型保育所については一押ししていた。

企業主導型保育所にも問題がないわけではないが、設置する以上ある程度育児に配慮した業務を構築しなければならないので現実的だ。

だが助成金を出して企業主導型保育事業を推進しながら、幼児教育無償化を掲げているのは引っかかる。

やはり幼児教育無償化は耳障りの良い政策での人気取りなのではなかろうか。

少子化対策は増税のネタでしかない

少子化は増税のネタ

財源があれば少子化対策するというスタンスは、やはり少子化を問題ととらえていないのではないだろうか。

もし本当に喫緊の課題だとするならば、他のところを削ってでも優先するだろう。

それをしないということは少子化対策を増税のネタにしているのではないだろうか。

「少子化対策のためなら、増税もしかたないか」

消費増税の時も、増税分はすべて福祉に使うと言いながら一部しか回さなかった時と同じだ。

やるやるといって増税のカードとして考えているに違いない。

少子化対策はどちらかというと環境の整備よりも経済や将来性の問題である。

ワンオペ育児が今より一般的だった、数十年前の方が出生率が高いということがそれを証明していると思う。

それ以前はワンオペというよりも家制度や富国強兵策の中での育児の話になるので、別問題である。

男女ともに9割が結婚・出産を希望しているという統計もあることから、経済政策を優先すれば自然と結婚・出産の問題は良化し、少子化対策自体は増税のネタと言う方針なのだろう。

人口減少と労働環境について

人口減少と労働環境

国立社会保障・人口問題研究所の2017年7月刊行の日本の将来推計人口報告書では、2053年に日本の人口は1億人を割り込むという推計になっている。

これまでの人類の歴史の中で、人口停滞や減少は数多く起きている。

日本の少子化、人口減少に対するスタンスは歴史人口学の学者である鬼頭宏氏が「人口から読む日本の歴史」でも著しているように以下のようなものなのだと思う。

人口の歴史をみると、現在起きている日本の人口変動も、異常な事態とはいえない。

人類史上、人口が停滞する時代が何度か存在した。

また人口減少は、ひとり日本のみならず、いくつかのヨーロッパ諸国でも予測されていることなのである。

私は現在進行している日本の出生率低下は、人口転換の最終局面を実現するプロセスなのではないかと考えている。

出生率の低下によって間もなく始まる人口減少や著しい少子高齢化はわれわれにとって初めての経験である。

しかしだからといって悲観することも、あわてて出生率の反転上昇を期待して資金や時間を投じることもない。

~鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」268Pより引用

これについては私も同じような考えで、歴史を見る限り少子化と言われている現状が異常だとは思っていない。

紀元前8,000年時点で推計約20万人しかいなかった日本の人口は、10,000年の間に停滞や減少、拡大を繰り返し600倍以上になった。

鬼頭氏によれば、現在の家族や人口行動における「伝統」は17世紀の成長と社会構造の変化を経て、18世紀に「伝統」として定着したと推測されている。

現代の人口学的な伝統は絶対ではないのである。

すなわち、われわれが伝統と考えているような人口学的な特徴も、農業社会における市場経済の発展と生活水準の上昇に対して生みだされた歴史的な産物であったということである。

現代日本でで起きている結婚の変化、少子化、高齢化、家族形態の変化も、一概に社会病理や社会問題としてみるのではなく、工業化をともなうひとつの文明システムが形成され、やがて成熟してきたことに随伴する現象であり、ここに近代日本の新しい人口学的システムが形成されつつあるとみるべきなのである。

~鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」270Pより引用

 

労働の自動化

労働環境で言えば、企業主導型保育事業の推進、同一労働同一賃金、企業の社会保険料加入適用拡大などなど。

日本は今、企業に対しての負担を強化しているように見える。

正社員を1人雇えば、賃金の他、労災保険、雇用保険、社会保険料、福利厚生費、賞与や退職金積み立てなどがかかる。

加えて最低賃金の上昇が、年々下から突き上げてきている。

実際に1人あたりにかかる人件費は少なくとも給与の1.5~2倍だ。

中小企業の多くが赤字であることを考えると、この負担増は相当のものだろう。

そして、企業の負担が大きくなることで行きつく先は、企業の経費削減の究極化であると私は見ている。

究極化とは人を極力雇わず、機械による自動化やAIによる業務遂行である。

今やエクセルの表計算やグラフ化も、数値を打ち込んだ後、ボタンを一つ押すだけで自動でやってくれるソフトが出てきている時代である。

そのデータの打ち込みや蓄積さえ、人間ではなく機械の自動化でできてしまう。

だがそんな中、データ取りから手作業でやっている企業は意外と多い。

人件費と自動化への機械投資を天秤にかけ、人件費の方が重いと気付いた時、企業はどう動くだろうか?

機械がはじき出したデータを用いてハンドリングできる人材と、機械のメンテナンスをおこなう人材で運営できるということである。

これが示すものは、人口減少社会への最適化だ。

最後に

少子化は、ことマイナス面が強調されがちである。

日本政府やマスコミもそのマイナス面を前面に出して我々国民へとアプローチしてくることがほとんどだ。

だが実際に起きていることを見渡すと、少子化に対する日本のスタンスが見えてくるような気がする。

少子化による高齢化、人口減少は歴史的、現代のライフスタイルの多様化から見て避けられない。

人口減少のデメリットを強調することで極端な人口減少を起こさせず、それに伴う変化に対応できないという混乱期を短くする。

あわよくば少子化対策をネタに税収増を狙い、その間に人口減少社会への最適化を完了させ、次代へつなぐ。

というのは私の浅慮かもしれないが、このことを考慮に入れておいた方が良さそうである。

日本は少子化について、問題に思っていない。

人口減少を是認し、仕事に対して考えなくてはならないのかもしれない。

私自身が人口減少社会にマッチングし、社会から必要とされる人材となれるように。

その結果、娘が将来も幸せに暮らせるように。

今回はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です