ひとり親家庭であることをあまり意識しなくなった。

シングルファザーであることを意識しなくなった。

2016年2月。

表面上は唐突に訪れた離婚。

はじめはひとり親家庭と言うものについて、ネットで調べまくった。

特に父子家庭という環境についてである。

ひとり親家庭というのは、どういう生活が待っているか。

ひとり親の子育てはどういう風にすればいいのか。

不安が先行するあまり情報に惑わされ、余計なものまで買ったこともある。

だが結局は自然体に落ち着いた。

ひとり親ということはあまり意識しなくて良いのである。

目次

ひとり親家庭であることをあまり意識しなくなった

娘と家に帰っても誰もいない。

何をするにも娘と2人。

なのに、時々ひとり親家庭であるということをあまり意識しなくなっている自分がいることに気づく。

日々の育児や家事、仕事に忙殺されていると言うのもあるが、それだけではない。

下の写真は、私が離婚して1週間後くらいに撮影した娘の写真である。

この期間の写真は前後1週間でこの写真しか撮影されていない。

離婚1週間後の娘の写真

離婚から丸2年が経ち3年目に入った今、無我夢中で通り過ぎた時間の写真や動画を見返していると、ひとり親と言っても何も特別なことじゃないのだ。

掃除機をかけるお手伝いをする娘

夜おやすみ前の一枚

ボールプールで大はしゃぎ

子どもにめいっぱい与え、逆に子どもからめいっぱい与えられて、今がある。

ひとり親じゃなくても一緒ではないか。

ひとり親と言うことで変に構える必要なんてない

ひとり親家庭というのはあくまで多様化する家族の1つ。

ひとり親だからとか、両親がいるからとかっていう議論はまったく意味がない。

変に構える必要なんてないし、ましてや他のご家庭と比べるようなこともしなくていい。

前職ではあえて、ひとり親であることは大々的に知らせていなかったが、普段の生活では特にひとり親であることを隠すようなことはしていない。

だって自分の中でひとり親家庭と言うものが普通で、特段気にするようなことでもないということが分かったから。

確かに仕事をする上で、子どもが熱を出したとかと言う状況になれば私しかいないのだから遅刻や早退は回避できない。

それから外出先でいくら自分が疲れようが、ちょっと休憩する間に子どもを見てくれる相手もいない。

困るようなことなんて、今のところこれくらいのものだ。

最初はひとり親だということを意識してしまうかもしれない。

でも大丈夫。

気付いたら構えることも、意識することもなくなってくるから。

最後に

結果的にひとり親家庭となったからと言って、悲観することはない。

ただ、これだけは必要だと感じるものがある。

それは、ひとり親になっても子どもを愛することができる覚悟が決まっていること

どれだけ子どもが泣き叫ぼうが、周囲が騒がしくなろうが流されないように踏みとどまれるか。

子どもの成長のためならば、娘にいくらでも「パパ嫌い」と言われてもかまわない。

子どもはきっとわかってくれる。

だって娘は「パパは怖くない」っていつも言ってくれるから。

そして周りのご厚意には大いに感謝する。

覚悟と感謝の気持ちさえあれば、何も怖れることはない。

堂々と胸を張り、子どもと歩んでいけばよいのだ。

力まず、自然体で前へ向いていこう。

今回はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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