忖度とは他人の(相手の)気持ちをおしはかること。
そん‐たく【×忖度】 の意味
[名](スル)他人の心をおしはかること。「相手の真意を忖度する」
出典:goo国語辞書(提供元・デジタル大辞泉)
元来「父の気持ちを忖度する」などのように日常のシーンでも使用されていた言葉なのだが、広まった経緯が経緯だけにマイナスなイメージで使用されていることが多い。
「父の気持ちを忖度する」例の場合、頑固親父に怒られないようにおしはかるのも忖度の一例だが、単純に父の気持ちをおしはかるというのが忖度の本来の意味である。
おしはかるという言葉にマイナスの要素は見当たらない。単に忖度した後の行動とセットになって悪いイメージがついているだけだ。
そして、ここで一つポイントがある。
家族は他人なのかということである。
娘とリンは血を分けた親子であり、そういう意味では赤の他人ではない。
だが、娘とリンはお互いそれぞれ人格を持った人間である。リンとリンの肉親だってそうだ。
親子ですら、互いに従属性はないし、1人の人間だ。そういう意味でリンは家族について最も近しい他人であると言う認識をもっている。
だから親ですら子の人生について過分に介入するのは良くないと思っている。この前提があることを認識した上で、本記事を読み進めていただきたい。
目次
子育ては忖度の連続である
日々娘と接していて、よく思うことがある。
「娘はなぜ泣いたのか?」
「娘はなぜ怒っているのか?」
言葉でのコミュニケーションが完全でないからこそ、娘の気持ちを忖度する場面は無数だ。特に生まれた直後から言葉が出てくる前においては、子どもの気持ちをおしはかることのみからコミュニケーションが成立すると言っても良いのではないだろうか。
そして、言葉が多く出てきている今ですら、娘は今何をして欲しいのかということを忖度する頻度は低くなっていない。
まずご飯を食べないとき。朝食のときもあれば夜食のときもある。保育園の先生に聞いたところ最近は完食することもあまりないそうだ。
「お腹がすいているはずなのに、なぜご飯を食べたがらないのだろうか」
また、休日にはこうも思う。
「娘を楽しませるには、どこへ連れて行くのが良いか」
「娘はなぜこのおもちゃを欲しがっているのか」
これも忖度だ。娘の気持ちをおしはかり、次の行動へとつなげていく。
- 娘の健康のためにもなんとかご飯を食べさせようとする。
- 親の希望でこの場所へ連れて行きたい。
- 女の子にはこのおもちゃはふさわしくない。
親としての希望や願望、期待はあれどそれを娘におしつける様なことはしたくない。
だが、リンの気持ちを抑え、娘の気持ちのみを最優先していくわけでもない。
忖度して斟酌(しんしゃく)するかどうかを決めるのである。
しん‐しゃく【×斟酌】 の意味
- [名](スル)《水や酒をくみ分ける意から》
- 1 相手の事情や心情をくみとること。また、くみとって手加減すること。「採点に斟酌を加える」「若年であることを斟酌して責任は問わない」
- 2 あれこれ照らし合わせて取捨すること。「市場の状況を斟酌して生産高を決める」
- 3 言動を控えめにすること。遠慮すること。「斟酌のない批評」
出典:goo国語辞書(提供元・デジタル大辞泉)
斟酌するかどうかは別として、親が子の気持ちを忖度するというプロセスが大事なのではないか。
娘がご飯を食べたがらないときにまず忖度というワンクッションを置いてみる。単に目の前のメニューが気に入らないのかもしれないし、ご飯以外に何か気になっていることがあるのかもしれない。
例えば、今日の保育園での話をしてみる。Youtubeで好きな動画を見せてみる。おままごとをしてみる。
お腹はすいているはずだが、この子は今何を思い、感じているのかを見つめる。
ご飯を食べないのはご飯を食べることよりも優先したいことがあることが多いのだ。それに気づいてあげるだけで、すんなりご飯を食べてくれたりする。
とは言っても、全部食べてくれなかったりするのでもどかしい思いもまた多いのだが、ワンクッションを置くことで感情的な対応になりにくいという効果がある。
子どもから見たって忖度の連続だ
反対に娘目線で考えてみる。
やはり忖度の連続だろう。
「いまパパは何を考えているのだろうか?」
「なぜパパは怒っているのか?」
3歳くらいの年齢で、どこまでおしはかれるものかは分からないが子どもは親を良く見ている。
自分が子どもの頃を思い出してみる。親の気持ちを忖度する場面が幾つか思い当たる。
- 長男として、常に兄らしく、期待通りに振舞おう。
- ファミリーレストランで注文するとき、いつもお金がないと言っていた両親を忖度して値段の高いメニューを頼まないようにしよう。サイドメニューなどはもってのほかだ。
- 普通に就職して欲しいという母の願いを忖度して、専門学校ではなく大学を受験しよう。
斟酌までしてしまっているので例としてはあまり良くはないが、リンはこんなことを思って親に忖度してきた。
親がことあるごとに発した「お金がない」という発言は、子どものときにはかなり重い意味で捉えていたものだ。
これから娘が成長していくに従って、親であるリンに対して同じように忖度していくことになるだろう。
娘からおもちゃをねだられた時や娘が人生の岐路に立ったときに、ウチにはお金がないとか一般論で安易に答えることが無いよう、やはりまず忖度してみるということを頭に入れておきたい。
最後に
忖度したからといって必ずしも事態が良くなるわけでもないし、ましてや解決するわけでもない。言葉の意味どおりおしはかっているだけだから。
だが気持ちをワンクッション置くことで感情的な対応になりにくいし、子どもを個の人間として認めるということの第1歩ではないかと思うのだ。
好きでも嫌いでもない、見ず知らずの人に忖度なんてしない。近しい人、もしくは近づきたいという人だからこそ、その人の気持ちをおしはかるという行為に結びつく。
そう考えると、忖度するというのは非常に身近な行為ということにならないだろうか。
コンビニで娘の気持ちを忖度し、斟酌した結果買ったチョコは、忖度饅頭ならぬ忖度チョコと言っても良い。
娘と一緒に忖度チョコを頬張りながら、今日も笑顔の交換をするのだ。
子育てこそ、まさに忖度の極みである。
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