貧乏子だくさんは嫉妬によって生み出された言葉なのではないか。

貧乏子だくさんは嫉妬によって生み出された言葉なのではないかアイキャッチ
よく言われる貧乏子だくさん。

子どもを育てるのに年収は関係ないという意見もあるけれど、本当なのかとずっと疑問に思っていた。

前職の上司はリンよりもかなり多く稼いでおり、奥さんもパートに出ていると言っていたので最低でもリンの倍以上の世帯収入があったはずだが、住宅ローンやお子さん(2人)にかかる出費はかなり厳しいと言っていた。

また、リン母にリンと弟の2人の教育にかかった金額と家のローン支払い額を聞いて、自分には子どもは多くて1人だろうと感じたし、今でもそう思っているからである。

中古住宅に住み、娘1人の現在でも、精いっぱい背伸びしているのではないかと思うのだ。

目次

貧乏子だくさんは本当か?

実は「人口から読む日本の歴史 著:鬼頭宏」を読んで、江戸時代においては貧乏子だくさんが当てはまらないどころか、逆であることが一般的だったということを知った。

たとえば武蔵国甲山村では、保有国高五石を境にして、上層四.三人、下層三.六人であるし(鬼頭宏「徳川時代農村の人口再生産構造」『三田学会雑誌』七一巻四号)、濃尾地方農村(六ヵ村)では石高一〇石以上層の五.九人に対して一〇石未満層では三.八人と二人も差があった(速水融、前掲書)。

人口から読む日本の歴史 鬼頭宏~134ページ「貧乏人の子沢山」より引用

この原因を著者である鬼頭氏は2つ掲げている。

・出稼ぎ経験率の違いなどによる女性の結婚年齢の差

・結婚している妻の有配偶出生率の差

1つ目の出稼ぎ経験率の違いとは、簡単に言えば家が裕福であれば出稼ぎに出る必要がなく女性の初婚年齢は早まり、貧乏であれば出稼ぎを終えた後に結婚することが多くなるため初婚年齢が遅くなるということである。

ちなみに男子の初婚年齢は下の引用のとおり、江戸時代も現在も初婚年齢はあまり変わらないということもわかった。

初婚年齢の階層差は明瞭であり、しかも女子において著しかった。

美濃国浅草中村(一七一六年以後出生で一八三一年以前に結婚した者)では、石高一八石以上の上層農民初婚年齢は男二六.七歳、女一七.六歳だったのに対し、下層農民(四石以下)では男二八.二歳、女二二.六歳と、男子における差は僅かだったが、女子では五歳もあった(Smith “Nakahara”)。

同様の現象は濃尾地方六ヵ村(一六七八~一八七一年)でも見られ、男性においては階層間格差はほとんどなく平均二八歳だったのに対し、女性では一〇石以上の上層で一八.七歳、下層(二石以下)で二一.一歳となっている(速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』)

人口から読む日本の歴史 鬼頭宏~123ページ「結婚年齢」より引用

2つ目の有配偶出生率とは有配偶、未婚、死別、離別のうち、「有配偶」の女子人口を用いて算出した有配偶女子人口千人に対する嫡出出生数の割合である。

1つ目の理由と関連するが、裕福な家の女子は早婚であり、有配偶期間が長くなる傾向になる。

そして貧しい家の女子は遅く結婚する分、生涯で出産する子どもの人数は少なくなり、その差が大きいのだという。

江戸時代であっても、やはりある程度の経済的基盤がないと、子どもの数は少なくなるということである。

確かにゲーセン店長時代、年収が300万円台だったころには結婚なんてことは全く考えられなかったし、できるとも思わなかった。

転職し年収が400万円を超えてきたあたりから、なんとか家族を持っても大丈夫かなという気持ちの変化が現れたのである。

貧乏子だくさんは現代の日本にも当てはまるか?

現代の人々イメージ

周囲と自分を見て、貧乏子だくさんは現代の日本にも当てはまるのかを考えてみたい。

リンの場合は先にあげた通り、年収が低いときは結婚すら意識していなかった。

周囲も同じで、知り合いや友人、前職、前々職の同僚を見ても年収が低い男性は未婚の人ばっかりだったが、役職がついたり年収が高い人はほとんど結婚している。

そして既婚者は言葉通りに受け取るのならば、未婚者の年収の倍以上であっても「生活が苦しい」と言っている。

これを聞いた未婚者が結婚しようと思うか?

おそらく相当子どもが好きでもない限り、結婚や子育てを意識しないのではないだろうか。

リンの周りに限って言えば、江戸時代と同じで貧乏子だくさんは当てはまらないと言えそうだ。

なぜ貧乏子だくさんと言われるようになったのか?

ではなぜ貧乏子だくさんという言葉が出てきたのだろうかと考えてみた。

こういったマイナスの意味でつかわれる言葉というものはマイナスのエネルギーから生み出されるのではないか。

ということは、上層農民同士の嫉妬もしくは近代の中流家庭同士の嫉妬からこの貧乏子だくさんという表現が生まれたのではないだろうか。

あの家は子だくさんで羨ましい→子だくさんということは生活コストがかかる→生活コストがかからない私たちの方が裕福である→貧乏子だくさんだ!

というような、案外下らないマウンティングから始まったのかもしれない。

まとめ

この記事についてのまとめを下に記しておく。

・江戸時代において、貧乏子だくさんは当てはまらないどころかむしろ逆である。

・現代にも貧乏子だくさんは当てはまらなそう。

・貧乏子だくさんという言葉は嫉妬から生み出された負の言葉なのではないか。

また、「人口から読む日本の歴史」には、貧乏子だくさんの他にもいろいろなデータや考察が書かれている。

縄文時代から現代に至るまで、増加と停滞を繰り返して増え続けた日本の人口を歴史人口学という観点から書かれた本である。

・各時代の推計人口

・都市には不可欠な人口流入

・江戸時代において堕胎と間引きは禁止されていた地域も多い。

・少子高齢化についての見解

など興味深い資料やデータ、考察もあるので気になった方はぜひ一読してみてはいかがだろうか。

今回はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください